水中溶接 8.湿式水中溶接

8.1 湿式水中溶接とは

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 溶接する場所が水中に露出した状態で溶接する方法を、湿式水中溶接と呼びます。アーク溶接とは、溶接したい場所と目的に応じた電極との間に、電気アークを発生させて溶接したい所を部分的に溶融させて一体化し、凝固させて接合する方法です。鉄鋼を構成する成分やアークを安定に発生させるためのガスあるいは周囲の海水は非常に高温になり、一部はガス化さらには解離や電離してアーク放電を持続するための要素因子となります。湿式溶接は緊急事態に応急的処置が必要な場合に用いられることが多く、潜水士による被覆溶接棒を用いた手動作業が一般的です。
 右の写真は、実際に海中で潜水士が溶接作業をしている状況です。水中の作業箇所は、一般的にはある程度濁っています。また、潮流や波により潜水士には不規則な外力が作用します。太陽光も十分には届かないことも多く、ヘルメットなどに付属した照明などを用います。特に濁った環境では、潜水士と溶接部の汚濁物質により照明光は波散乱反射して、視認性を悪化させてしまいます。このような悪環境で確実な溶接を実施するには、卓越した技能と体力が不可欠であり、作業能率はどうしても低くなります。
 "Underwater Welding"で検索すると、「より高給な仕事が保証される」との潜水士訓練学校の記事が上位に並んでいます。これらは潜水士が海中にもぐり被覆アーク溶接棒を用いて行う湿式溶接作業者の訓練を目的としています。スエーデンのエサブ社が被覆アーク棒の会社を設立したのが1904年であり、最初の水中アーク溶接は、第一次世界大戦中の1917年にリベット部の水漏れ補修を目的として英国海軍造船所で実施されました。水中でも高温のアークによりアーク周辺がガスに包まれるために品質の許容できる溶接は可能です。しかし、溶融している金属表面を確実にシールドして、良好に溶接結果を得るには高度な熟練が必要です。また水深に応じて十分なシールドを確保するためのフラックス量の調整が難しいこと、溶接金属内に水素が残留しやすいこと、予熱などが必要な部材が多く所定の機械的特性が得にくいことなどの欠点もあります。
 被覆溶接棒は、溶接する鋼材の成分に適応した成分構成の心線の周囲にフラックスを被覆し、さらにその周囲を防水処理しています。フラックスはアークを安定に維持し、溶接作業性を左右する重要な因子です。フラックスが吸湿すると溶接性と溶接した金属の強度特性に悪影響を及ぼしますから、陸上の溶接でも溶接棒の維持管理に注意をしています。具体的には、溶接棒のフラックスに吸収されている水分を除去するために、使用前に一定時間乾燥機に入れてフラックス内の水分を溶接結果に影響しない量に減少させることが義務付けられています。水中溶接において実際に使用する場合、約1時間海水中に露出させても溶接結果に影響が無いように作成されています。水中溶接ではフラックスの周囲を慎重に防水処理してフラックスの内部に水分が吸収されないようにしています。防水被覆形成後には全体を真空包装し、溶接直前に包装から取り出して使用するのが一般的です。水深が深くなると周囲圧力が増加し、アーク溶接中に発生する見かけ上のガスの体積が減少します。このため、作業水深に応じてフラックスの量や組成を変えるなどの工夫がされています。
 溶接対象の鋼材を母材と呼びます。固体状態の母材、アークにより局部的に溶融された溶融池と呼ばれる溶融金属、そしてそれが凝固した溶接金属の3種類の状態が母材側に存在します。実際には溶融池表面の一部と溶接金属表面には、フラックスと母材から発生するスラグに覆われます。溶接中に発生するスラグは、湿式溶接では溶接部の強度を向上させる有力な要素ですが、説明を簡単にするために無いものとします。母材の表面は海水と高温のアークプラズマとその周囲を囲む気泡と接しています。溶接を安定に行い、高品質の溶接結果を得るためには、高温の状態の溶接金属である溶融池が、不活性のガスに覆われた状態を保つことが重要です。しかし、溶融池表面が直接海水にさらされる場合も生じるため、アークが不安定になったり、溶融金属に水素が吸収されてブローホールや割れなどの欠陥が生じる危険性が高く、溶接棒を含めた溶接条件の選定と作業者の熟練が必要となります。
 陸上では交流や直流溶接棒プラスの条件が良く利用されます。水中では直流溶接棒マイナスが利用されています。交流は直流より人体への危険性が高いこと、及び、極性の転換時に高い無負荷電圧が発生するため、交流は使用されません。陸上では溶接棒を挟み込む形式の電極ホルダーが使用されています。水中溶接用電極ホルダーは電極の露出部を極力少なくするために、接触部は円筒形にし、電極を内部にねじ込む形式を良く利用します。溶接棒マイナスでは電界研磨作用が働き、接触部がきれいな状態に保たれやすいことと、棒マイナスの方が水深増加による電極消耗速度の増加が少ないことが、溶接棒マイナスが選定される理由となっています。感電による事故の危険性を下げるために、無負荷電圧を低く抑えていることも溶接性を下げており、熟練が必要な理由の一つです。
 感電による物理的心理的な身体的自由度の拘束、アークにより解離した酸素と水素が閉鎖空間に蓄積されて引火爆発する危険性、窒素酔いなどによる潜水士の変調、あるいは、水が非圧縮性であり圧力変動が瞬時に伝播することなど、海洋環境には特異的な制限は多くあります。必要は発明の母であり、海底原油の掘削が盛んになったことから、多岐にわたる技術的改良が行われてきています。実用化へのもう一つの問題点は、監督官庁の許認可システムと労働安全規則の解釈で、法規制が実態にそぐわない場合も存在しているように感じています。上向き姿勢での溶接の場合には、湿った気泡が溶接部近傍に多く滞留し、ブローホールが発生しやすいため、上向き姿勢での溶接線が相対的に短くなるように補強材の構造を工夫して用いられます。

水中での安全策
 水中での安全には3つの基本方策があります。
 まず、電撃に対しては離脱電流が目安となります。離脱電流以上の電流が流れると、水中での呼吸に問題が生じます。手が自由に動かせなくなるという物理的な問題と、心理的な要因とが、重なって危機的な状況に陥ります。このため、電気機器の電圧は24V以下にします。この電圧では、直接電源に触れても体内を流れる電流は離脱電流以下になり、感電しても致命的な事故は起き難くなります。
 24V以上の電圧で作動させなければならない機器がある場合には、20ms以内に作動する漏電遮断器を用いて、感電時間が20ms以内で終了するよう設定します。この場合には心室細動を起こす可能性がある電流500mA-ACまで許容できます。電圧としては250Vまでの電圧を利用する機器が使用可能です。ただし、漏電遮断器を利用する場合は、漏電していない時の誤動作による遮断のリスクと漏電しているにもかかわらず検知できずに遮断しない時のリスク及び急激な遮断でシステム全体が不安定になる可能性など、設計時に考慮しなければならない要素が多くあります。誤動作で遮断したときなどは、船上から迅速に復旧措置が取れる構造にしておかなければなりません。特に深い海底で作業しているときに、突然照明がすべて消失した場合、潜水士は真っ暗闇の中で停電の原因を究明し、どのような行動をするのが最善かと言う判断を即刻下さなければなりません。判断を間違えると危険な状態に陥ります。このような場合、直ちに船上から必要な情報と指示が潜水士に連絡できるシステムが必要です。
 3つ目はユニークな考え方で、海水中では海水のほうが人体より抵抗が少ないため、ある程度充電部分に近づいても電圧がかかっている部分に直接手を触れさえしなければ、人体は安全を保てることを利用します。金属の露出部分を無くして、充電部分近辺に絶縁物で防護壁を設けることにより潜水作業士の安全が確保できます。
 海中で危険な場所に近づかないようにするひとつの方策として、潜水士に呼吸ガスを供給するホースと命綱とを短くして行動範囲を制限することがあります。

次ページ  2016.3.15作成 2018.6.17改定

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コロンブス交換
 原書房の「食」の図書館シリーズは技術者には場違いな書籍のように感じる方は多いと思います。
 しかし、「食」は生きていくうえで非常に重要な要素であり、製造や補完・輸送の過程で、溶接・切断に関した記述も含まれており、題材によっては過去の歴史や民族性についての鋭い記述が見られ、各種技術が発明される過程での原点や裏話に関する知識などが得られ、なるほどそうだったのかと感心することがあります。
 Columbian Exchange は、1492年から始まった東半球と西半球の間での植物,動物,食物,奴隷を含む人口,病原体,鉄器,銃,思考の甚大で広範囲にわたる交換を表現する時に用いられる言葉で、コロンブスの「新世界」への到達にちなみ、この名称が用いられています。
 コロンブスの卵ではありませんが、立場の違う見方からの情報は新鮮で、思いがけない発見があります。調べ物などをするときに、その内容に関係ありそうな食物の歴史書を、気分転換を含めた読み物として合間に読んでいます。