7.2 労働安全と知識

2.1 安全衛生対策

前ページ

 人間が作業する以上、何らかの原因で事故は起きてしまいます。ロボットによる作業であっても、ロボットを作ったのは人間であるため、プログラムミス、故障、想定外の事象など、事故が起きるのはやむを得ません。不幸にして事故が発生した場合には、如何に致命的な事故に拡大することを防ぎ、被害を最小限にとどめる体制を作る努力が重要です。
 労働安全衛生法で定められた、事業者の講ずべき措置を右に示します。最近ではブラック企業やパワハラなどがニュースでも良く取り上げられています。労働安全衛生法の文面どおりに解釈したら、ほとんどの研究機関は法律違反と判断されるかどうかのグレーゾーンに位置づけられると思います。熱心な研究者のほとんどは、競争相手の後塵を拝するの良しとはせず、少しでも他者より先に結果を出したいと思い、日夜努力奮闘しています。管理者の目を盗んで、少々危険でもするべきだと考える実験をしてしまいがちです。
 多くの事故は、不完全状態と不安全行動が重なり合って発生しやすく、どちらか一方のみの原因で発生することはごく稀にしか起こりません。このため不安仝状態の安全化と不安全行動の防止に努めれることにより、大半の事故の発生を未然に防止可能です。しかしながら、現実の人間活動では、錯覚・間違い・失念等々による不安全行動は避けられないため、事故が発生してしまいます。
 この観点から、作業者の僅かな不安全行動が直接事故や労働災害に結びつかないようなフールブルーフやフェールセーフ化などいわゆる「本質安全化」を基本姿勢としなければなりません。また、不安全行動の防止には徹底した教育訓練に加え、人間の行動特性を踏まえた上での人間工学・行動科学等を加味した事故防止対策と個人の能力、素質を考慮した適性配置が必要です。
 不安全行動防止の主流となる教育訓練は「知らない・教えていない」という状態を解消する場です。せっかく安全教育と訓練を実施しても「これぐらい知っているだろう」とか、「知っていて当然だ。」と教える方のレベルで判断して、教える内容を決めた為に失敗することが多くあります。事後のフォローアップが巧く行われるか否かが、実施した教育の実効性に大きく影響します。頭で理解したことが必ずしも行動に反映されるとは限りません。むしろ教育したことの、ごく一部しか行動には現れないと考えなければなりません。
 水中切断作業では、水中(海中)という特殊な領域で電気や可燃性ガスを用います。このため、事故の発生する危険性は陸上に比較して特段に高くなり、事故が生命の危険に直結しています。私自身は高圧タンクを用いた水中切断実験や大型水槽内での水中溶接ならびに水中切断を、誰もいない実験棟で一人だけで実施してきました。現在の常識では決して許されない行為ですが、関係する人員がまったくいない状況ではどうしようもありませんでした。水中切断作業における特有な災害や障害を可能な限り払拭するために、知っておくべき事項と厳守しなければならない事項を取りまとめて独自の作業安全マニュアルを作成し、事故を起こさないように慎重に実験してきました。それでも一人で実験を行うことには無理があり、人為的なうっかりミスまたは偶発的なミスは避けられませんでした。
 人為的なミスの積み重ねを防止するために、施工前に施工計画に基づいた作業手順を作成し、全員でそれを遵守するとともに作業の都度、教育と訓練を行い周知徹底を図ることにより、事故低減化を図ることの重要さは身にしみています。施工中にも、まさかの事態にも、安全を確保できるよう、可燃性材料や爆発性材料を安全が確保される場所に移動することや複数の作業で相互に安全を監視することが重要です。
 最近は究極の安全策「少しでも危険性があれば、何もしない、させない。」がはびこっているような気がします。また、責任回避のための書類作りが膨大となり、結局何も仕事ができない状態になっているのでは、と、危惧を募らせています。

次ページ 2016.4.1作成 2018.5.15改定

全体目次
安全感電・目次
事故の防止策
 高木千太郎の "これでよいのか!インフラ専門技術者/大修繕時代をどう生き抜くか, ぎょうせい(201802)"は、安全や保守点検に関する日本の構造的問題を取り上げ、科学技術に関わる人間への真摯な問題提起と心構えを説いています。
 右に述べている私の文章は、独立した組織内の事故防止に対する事項です。一般的には、組織が単独で存在するわけではなく、他の組織との関わり、あるいは作成した物件を利用する人々との関わりが存在します。
 1995年7月1日に施行された製造物責任(PL)法には、製造物の欠陥により損害が生じた場合の製造業者等の損害賠償責任が定められています。この法律が成立した頃にはそれなりにこの法律の効果に期待していましたが、いつの間にかその存在を意識することはなくなりました。日常生活の惰性は怖いと思います。