7.労働安全・感電・腐食

2.2 労働安全と知識

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 「初心忘れるべからず」と言いますが、毎日毎日の少しずつの積み重ねで、いつの間にか初志とは反対の方向に進んでしまいます。久しぶりに会った友人に指摘されて、そのことに気づき、愕然とした経験が数多くあります。私自身は、共同研究や技術相談などで、外部の機関に出かけることが多く、自己の属する組織と訪問先の文化の違いを認識する機会を多く持ちました。訪問(実験)先は研究所だけではなく、生産工場などに出向く機会も多くありました。訪問先ごとで安全に対する注意や風土(文化)の違いを認識しました。しかし、どの企業も余裕のある空間を準備し、綺麗に整理整頓されていました。
 現象の可視化を生業としていたため、自動溶接作業時の不具合の発見とその改善とを依頼されることも多く、企業による肌合いの違いは強く感じました。一般的な感覚として、生産ラインでは不具合が起こらない限り設定条件を変更するのには大きな抵抗がありました。もっと良い方法があるよ、と示唆しても、現状を変更するのは二の足を踏んでいました。また、必然的にエラーが生じる工程においても、その工程を開発して功績をあげた人が幹部になっている場合には、「本質的にその方法ではミスが生じる」と言うことが現場の担当者には理解してもらえても、改善要求を上に上げるのをためらう企業もたくさんありました。
 さて、人間の行動・パフォーマンスは右図のようにまとめることができます。何も知らなければ対応のしようがありませんが、ある程度の知識があれば、なんでもこわごわと実行することはできます。あまり良く知らない段階では、不安の要素が前面に出て、ぎこちなく、石橋をたたいて渡る状況になります。ある程度似た経験を持っていれば、少しスムーズに物事を運べます。試行錯誤を繰り返して、良い状況、悪い状況についてある程度の知識がつくと、物事をスムーズに運べるようになります。
 日本語は便利な言語です、と言うより、同じような環境で育った人同士のみで話をすることが多い言語なので、代名詞を多用してあいまいに表現しても、何となく相互で同じ理解をしていると思い込むことが多い言語です、と言うほうがよいかと思います。
 水中で効率的に溶接・切断を行おうと思うと、必然的に自動化・知能化を目的とすることになり、そのための研究を実施してきました。その間、情報について何かと考える機会が多くありました。一般的に、情報の分類と関係性を示すのに、右上図のようなモデルが使われます。
 科学は世界共通と一般的に考えられています。しかし、環境が違うと微妙に異なるのではと感じることも多々あります。環境(文化)が異なると対象とするデータそのものが異なってくるのはよくあることです。実際にはデータの必要性は、そのデータから情報を抽出する過程ではっきりします。環境(文化)が異なると、採取すべきデータの判断が異なってくるわけです。その結果、異なるデータを選択して情報を抽出した結果としての、知識知恵が異なるものになることもあるわけです。
 「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う格言があります。みぎにその格言に当てはまる図を示します。物事を理解するには最低限の知識は必要です。ある程度の知識があれば、想像力や思考の深化が可能になります。しかし、あまりに強力な伝統や重厚な知識が身につくと、見に染み付いた常識と異なる新奇なアイデアを拒否しがちな傾向が出てきます。システム性(知識の構造化と体系化)と創造性(新システムを開発する能力)のバランスをいかにうまく塩梅するかがこれからのシステム開発とシステムの安全確保に必要な事項となっています。
 ロボット化に際して最も大きな課題となるのが暗黙知と一般的に言われている知識です。20世紀の自動溶接は主に熟練工の動きをロボットに教え込み、教えられたとおりにロボットが作業して作業効率を上げる方法でした。少品種多量生産工程では、その方法が最も効率が良い方法でした。しかし、多品種少量生産、あるいは受注単品生産が求められ、なおかつ、熟練工が不足しがちな現在では、ロボット自身が暗黙知を理解・構築していく必要性が高くなっています。また、システムの安全性確保の観点からも、従来の評価の尺度を考え直す必要性も高くなっています。

次ページ 2016.04.01作成 2019.11.17改定

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安全感電・目次
細部に潜む?
 悪魔は細部に潜むと言いますが、何気ない部分の齟齬で失敗することは多くあります。
 自分ではあまり気にしていなくても、年齢と共に注意力と記憶力(当然体力も)は確実に衰えています。特に悪いピッチコンディションで外国チームと対戦すると、否応無く気づかされてしまいます。
 プロジェクトを円滑に運営していくためには、工具や消耗品の手配の遅延、思わぬ故障への対処など、予定どおりに行かないことが再々あります。それなりに準備をしていた自負があり、あまり致命的な失敗は犯さなかったと思っています。しかし、産総研に機構が変更され、組織の運営に遊びが少なくなるとともに、仕事が窮屈になったと感じていました。
 その様な組織運営問題を経済学の観点から考察・記述した、アダム・トゥーズの"ナチス 破壊の経済(みすず書房)"がお勧めです。大きな組織ほど急には変化できず、前任者の仕事が軌道に乗りつつあるときに、製作修正を行う愚について詳細に記述されています。T.E.カーハートによる"パリ左岸のピアノ工房(新潮社)"も同時並行して読み進めることをお勧めします。ピアノおたくの本のように受取られていますが、技術・技能の本質と人間の性についての貴重な本です。同時代の出来事をフランスから記述したアニエス・ポワリエの"パリ左岸(白水社)"を同時に読む予定を変更して読んだ本です。3冊同時もお勧めです。