3.7 放射光の構造
溶接のような複雑な現象を取り扱うのに、スペクトル(放射光)に手を出すのは泥沼に足を踏み込むようなものと、1990年以前は考えていました。このため、できるだけスペクトルを使わなくて良い取組で結論が得られるように努力をしてきました。1990年代半に入り可視化にまじめに取り組む必要性が生じ、アーク光の特徴についても少しおさらいしてみました。ボーアの理論によると、(1)核外電子はニュートン力学と静電気学の法則に従い、定常軌道を進行する、(2)電子の1周分の運動量はプランクの定数の整数倍になる(量子条件)、(3)電子が異なる軌道に移るときには、そのエネルギ順位に応じた単色光を放出もしくは吸収する(制動数条件)ことを満足する必要があります。最も単純な水素の放出光の説明図を下に示します。
アーク溶接で発生する光は、シールドガスや鋼材(主に鉄)の成分元素や分子のエネルギ順位が変化、あるいは解離・電離と再結合する過程で発生します。通常はイオンと電子の再結合あるいは高レベルから低レベルへと順位が下がったときに放出される光が主要な構成成分となります。
放射再結合ではイオン化した粒子と電子とが再結合し、余剰エネルギの一部を光として放出します。再結合により元の粒子が基底状態に落ちることは少なく、途中の励起状態を経由する場合がほとんどです。アーク溶接の場合には電離される割合は数パーセント程度でしかないために、その量はあまり大きくはありません。二電子再結合では、二つの核外電子が励起状態になる二重励起状態を経由し、さらにその一部がhνを放出して通常の励起または基底状態になります。これも放射再結合と同じ理由で頻度はあまり多く無く、放射再結合の1/3程度の量になります。
解離再結合は多原子分子のイオンにおきるもので、余剰エネルギは原子の振動エネルギに変換されます。このエネルギが十分大きい場合には分子は解離して原子に分かれます。通常は解離に必要なエネルギは(解離エネルギ)は電離エネルギよりはるかに小さく、分離した原子はまだ励起状態にある場合が多くなります。アークプラズマ内の大半の粒子は励起状態にあり、この再結合係数は放射再結合の1000-10000倍の大きさになります。三体再結合はイオンと電子に加えて仲介者となる第三体(多くは中性原子や分子)が介在する再結合で、放射再結合で放出されるエネルギは第3体の運動エネルギもしくは内部(励起)エネルギへと変換されます。これも解離再結合と同程度の割合で生起します。
右図は、GTA溶接のシールドガスとしてよく利用されているアルゴンとヘリウムの放射光の波長を示しています。ヘリウムは不活性の単原子ガスで、存在量は水素に次いで宇宙で2番目に多く、天然ガスと共に豊富に産出します。米国では原油や天然ガス生産量が多く、副産物としてのヘリウムはアルゴンより安価であることから、昔から良く使われています。
ヘリウムの核外電子軌道は一つだけであり、再結合による放射光のスペクトルライン数は少なくなります。アルゴンは核外起動が3あり、ヘリウムより放射は多く強くなります。一般的には700nm付近の波長の光強度が強いので、赤く見えます。鉄などの金属は更に軌道が多く、核外電子数も多く、放射のスペクトルライン数は非常に多く、ほとんど連続的な波長の光となります。
ヘリウム及びアルゴンのほとんどの放射光の波長範囲は可視光域にあるため、分光プリズムを用いてカラーカメラで撮影できます。右図は高速度ビデオカメラのレンズに分光プリズムを付け、SUS304材にヘリウムシールド中でアークを発生させて撮影した結果の一例です。アーク発生直後は母材のステンレスからの金属の蒸発は少ないために、ヘリウムの発光スペクトルのみが観察されます。ある程度の時間が過ぎて母材が溶融し金属蒸気が発生すると、金属蒸気はプラズマ内で電離と再結合を行うため、350nmから650nmの波長範囲内に多くの放射光が観察されるようになります。
右図に、水冷銅板−SUS−水冷銅板と母材を連続的に変えてアークを発生させ、スペクトルを計測した例を示します。放電開始時には高周波により電極表面に存在する多くの付着物が剥離蒸発し、シールドガスや空気などとともに電離再結合を行うため、瞬間的にプラズマ空間に多くの種類の放射光が発生します。少し時間がたつと電極温度が上昇し電極先端部での電離再結合が明確になると共に、ヘリウムからの放射光が強くなります。更に時間が経過し、電極が十分高温度になり、また高温度プラズマからの粒子が電極側面に衝突するようになると電極表面近傍からの放射光が強くなります。
アークがSUS304に移動して溶融池ができると、溶融池表面で蒸発した金属成分からの放射光が確認できるようになります。SUS304を水冷銅板で挟んで溶接を実施しているため、溶接が進行し再度水冷銅板上にアークが発生する状態では、蒸発した金属成分からの発光がなくなることも確認できます。
次ページ 2016.03.12作成 2018.1.23改訂