5.6 1Gと微小重力(溶接に及ぼす重力の効果)
重力・浮力の影響は?
アークの語源はアーチで、水平方向に細長いアーク放電を発生させた際に中央部が浮力で持ち上がり、橋のような形状になったことに起因しています。しかし、この話の起因となったアークが本当に浮力により中央部が盛り上がったか否かは分かりません。流れた電流そのものは小さく、浮力で持ち上がったのは間違いないようには思いますが、アーク自体は一旦曲がると自分自身の力で更に折れ曲がる電磁気的な性質をもっています。また、電極先端部がどのような形状をしていたのかによっても、原因が変わってきます。
アークは一部が電離した非常に高温の気体ですから、重力が作用する場では、重力の反対方向に浮力が作用します。また、内部を流れる電流で、原子や電子とイオンは加熱され内部には温度差も生じています。温度が高いほど、そこに存在する粒子の熱運動速度は速くなります。温度差があると、高い温度場に存在する速度の早い粒子が温度の低いところに流れ込む拡散による流れ、あるいは密度の高いところから低いところへの流れが生じます。さらに、電子やイオンは電気を帯びているため、マイナスの電子は+極に、プラスのイオンはマイナス極に電気力によりひきつけられます。電流が流れると、その電流の流れにより磁場が生じ、電流と磁場により電流を圧縮する方向に電磁気力が作用します。
アークの内部にはシールドガス成分と電極から蒸発した金属及び非金属成分とそれらの電離もしくは解離した成分が含まれ、内部の局所的な圧力と温度は異なります。浮力や電磁気力と内部の粒子の運動は相互に影響し合う複雑な現象です。そして、電極表面の状態にも大きく影響されます。
溶接中の溶融金属の流れや凝固の仕方は、溶接金属の形状と強度に大きく影響します。この場合は溶接アークからの熱の供給と溶融金属表面の周囲ガスとの相互作用、母材と溶融金属の濡れ性や熱伝導、さらには溶融金属自体に作用する重力、浮力、表面張力あるいは電磁気力など多くの要因が絡み合った複雑な様相を呈します。実際にアーク溶接中に起きている現象を正確に理解し、物理モデルを作り上げて精度の高いシミュレーションモデルを作るために、溶接現象の観察手法の研究を行ってきました。また、その観察手法を用いて、複雑に絡み合った多くの原因を、ひとつひとつ解きほぐして明らかにするために、特殊な実験施設を用いて調査しました。圧力の影響は、圧力容器を用いて真空から高圧までのいろいろな純度のガスが溶接現象にどのような影響を与えるかについて調べました。それらの一環として、重力と浮力の影響について微小重力実験施設を用いて調べました。
産総研北海道センターに微小重力状態の実験を行うための微小重力実験設備があり、そこで溶接中に作用する重力の影響を調べてみました。その結果について紹介します。落下距離10m、微小重力状態の時間1.3秒の落下装置を用いて、重力の影響を除去した溶接実験を行いました。制御装置や電源類はすべて制御室に設置し、ケーブルを利用して落下装置の中に供給できます。約15分に一回実験を実施できました。当時は上砂川に炭鉱跡地を利用した落下距離1000mの落下実験装置がお目見えし、それと関連した装置でした。上砂川の装置に比べて、簡単な実験が数多く行えることが特徴でした。私が想定した溶接の影響を知るためには、この装置で十分と考えましたので、産総研内の流動研究精度を利用しました。
落下中の風の抵抗による影響を避けるために、落下装置は二重構造になっており、内部のカプセルには風の影響はなく、100kgまでの実験装置を内蔵でき、自然落下中は10^-3Gの微小重力状態になります。落下装置の内側に、この実験のために自作した小型自動溶接装置と、ビデオカメラ及び高速度ビデオカメラを設置し、データは制御装置のあるフロアに設置したコントローラに記録するシステムを用いました。
重力が無くなり、拡散だけになると?
最初から溶接実験を成功させる自信は無かったので、落下装置利用の訓練と高速度カメラが利用可能か否かを調べる目的で、アルコールランプに火をつけて燃えている状態で落下させ、1Gから微小重力状態になる過程で、炎の形状がどのように変化するかを調べました。1Gの重力がかかった状態と、重力がかかっていない状態(0G)の違いを観察しました。1Gの重力が作用している場合には、燃えて熱せられたガスは浮力で上のほうに流れていきます。炎が上向きに流れると、下から酸素を含んだ新しい空気が流れ込みますから、燃焼が続きます。
装置を落下させると、炎には重力が働かなくなり、熱対流は消滅します。この場合は温度差による拡散が流れの原因になり、炎は球形になります。
同時に、アルコールランプの芯の部分への新しい酸素の供給は周囲からの拡散のみになるため、燃焼に必要な酸素が不足し、炎は弱くなります。この頃の高速度ビデオカメラはCCD素子を利用しており、ハレーションを起こすと右図左下のように素子上の電荷がオーバフローして縦方向にハレーションが生じていました。微小重力状態では、炎の光は弱くなり、この光を観察するためにカメラは1Gの状態でオーバフローする撮影条件を選定しました。
落下開始時には左上の状態になり、落下が進行すると映像を目視してもはっきり観察できない状態にまで光の強さが低下します。このため、映像を加工して赤色で炎の形状が理解できるようにしています。落下終了直前には右下の映像のように、炎はほぼ球形になり炎に重力は影響せず、拡散のみが影響していることが理解できます。
炎の中のすすはある程度の重さを持っていますから、微小重力状態になっても、1Gの時の運動モーメントにより、浮力が作用していた時とほぼ同じ上向きの運動を続けていることが観測されました。
画像をクリックすると微小重力実験のビデオが再生されます。
Effect of gravity on flame lamp and liquid meatl in water. | |||
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(1)Flame | (2)Flame | (3)Liquid metal | (4)Liquid metal |
重力がなくなり、表面張力だけが働くと?
次に、ビーカーの中に蒸留水と水銀とを入れて、水銀に働く表面張力と重力状態との関係を観察しました。ビーカーの中の水銀は水より重く、重力により下方に押し下げられほぼフラットな状態になります。落下を始めて、水銀に重力が作用しなくなると表面積を最小にする方向に表面張力が作用し始めます。表面積を小さくしていく過程で、水銀の重心は上方向に移動し、上向きに運動するモーメントが発生します。一方、周囲の水は水銀の周りからビーカーの底面に向かって移動を始めます。水銀とビーカー底面との接触が強い場合(図3:具体的には一晩そのままにした場合)には、水銀がビーカーから分離せず、固着したままの状態になる場合もありました。実験直前にビーカーを揺らして一旦水銀がビーカーから離れる状態にして、落下実験をした結果が図4の映像です。右図に示すように水銀はビーカー底面から離脱して水中を浮上して行きました。初期条件が結果にかなり影響する例として紹介しました。今まで各種の実験を行ってきて、最初にすごく良い結果が得られたときや、思いがけない結果になったときにも、初期状態を色々変えて実験を繰り返すと、本来想定していた結果になったことが多く、数回の実験のみで早とちりをしないほうが良い例として示しています。
右図は溶接実験の説明です。小型電源と駆動装置及び溶接トーチと高速度ビデオシステムのカメラ部分のみを落下装置内に設置し、必要な電力と信号は制御室からケーブルで落下装置に供給しています。シールドガスにはアルゴンを用いました。ガスホースはかさばるため、小型のガスボンベを使用して、落下容器内に設置しています。電力及び信号用のケーブルは全長が長く、結構かさばりました。落下容器が二重構造となっているため、落下中のケーブルによる悪影響は外殻容器のみに留まります。内部容器は落下に伴う空気抵抗やケーブル類の影響を受けずに自由落下します。
溶接実験は、1Gの状態でアークを発生させて安定した状態になったのを確認して、落下させて微小重力状態にします。高速度ビデオは1Gと10^-3Gの双方を記録できるよう、落下開始時がビデオデータの中間位置になるよう設定し、落下前から落下終了時までの間撮影しています。
2.4mmのトリウム入りタングステン電極とステンレス鋼(SUS304)の間でアークを発生させて、溶接状態を観察しています。装置軽量化と溶融金属の状況を観察するのが目的ですから、板厚3mmのSUS304を立てた状態にして、2次元の湯流れ状態を観察するようにしました。電極間距離は5mm、電流は60Aにしてアルゴンガスを毎分8リットル流しています。
上図が落下試験に用いた溶接装置と電源及びビデオカメラです。溶接トーチと高速度ビデオカメラは固定しており、母材のみを移動させて溶接中の状態を撮影しました。駆動装置は小型ガス切断装置の台車を改造して作成し、下向きと上向き水平溶接、及び、立向き上進・下進溶接を簡単に実施できるよう、骨組み構造の立方体枠に駆動装置を固定し、枠の設置方向を変えるのみで全ての姿勢の溶接を行えるようにしました。
右の写真は、落下直前(1G)のアークと落下中(10^-3G)のアークの例です。このように、アークの長さが短く大きな電流を流している場合には、浮力(重力)によるアーク形状の差はほとんど認められません。厳密に言うと、落下中のアークの方が若干引き締まっています。
微小重力時の溶接金属の形状は?
アーク溶接で溶融した金属は、水に近いさらさらした液体です。重力の影響が最も良く観察できる立向き姿勢で上から下に溶接を進行しました。電流が小さく、溶融金属の量が少ない状態では、溶融金属の粘性も高く、重力のあるときには溶融金属は心もち下側に垂れ下がっています。微小重力になると垂れ下がれりは無くなり、ほぼ平面になります。電流を大きくして溶融金属の量を大きくすると、重力の影響と表面張力の影響がはっきりと現れます。1Gの時に垂れ下がっていた溶融金属は、微小重力になると表面張力で上に引き上げられています。
下向き溶接、横向き上進溶接、上向き溶接など、姿勢を変えて重力の有無による形状の変化を調べた結果、溶融金属の形状には重力が大きく影響がすることが確認できました。また、微小重力状態では表面張力が支配的になると考えられますが、0.1秒以下の短時間で溶融金属の形状が安定した結果から、温度が高い場合には表面張力には重力とほとんど変わらない程度の影響力があると推定できます。赤色で表示したスラグの動きを比較した結果では、重力のあるときも無い時も溶融金属の動きにはあまり違いは認められません。この結果から、溶融金属の流れは、密度差(浮力)による対流より、表面張力差によるマランゴーニ対流の影響の方が強いと考えられます。尤も、これらの実験は薄板を立てた状態にして側面部をなめた状態での溶接実験ですから、表面張力は普通の溶接より大きく影響しているはずです。
重力が作用している時も作用していない時にも、溶融金属の内部に流れがあることが観察されました。溶融金属の表面に浮き出たスラグは明るく撮影できますから、この動きを監察することで溶融金属の動きを推定できます。小さい単独のスラグはほぼその周りの溶融金属と同じ流れになっていると考えられます。毎秒1000コマの速度で撮影した映像から、各時点でのスラグの位置を計算し、その位置を用いてスラグの速度が求まります。スラグは循環運動(対流)をしていますが、その流れ方は一様ではありませんでした。
電磁気力の影響を推定するために、アース位置を、前方、後方及び中ほどの3箇所変更して流れを調べましたが、有意な差は観測できませんでした。また、アークにより吹き流される動きの場合より、アークに近寄る動きの方が平均的に速度が速いことから、スラグの動きにはプラズマガス流の影響はあまり無いと考えられます。これらの結果から、この流れは温度差による表面張力の違いで発生するマランゴーニ対流であると考えています。
流れの速さは0.1m/sから0.7m/sの範囲で変動しています。溶融金属前面では、アーク側から底部への比較的安定した早い流れが観察され、流れの方向が変わる点の近くで、渦流が発生することが多く観察されています。
右の映像は下向き水平溶接において、1Gと微小重力で溶融金属がどのように変化するのかを示した例です。1Gの重力が作用している状態では、溶融金属には下向きの重力が作用し、溶融金属はしたに押しつぶされた格好となります。溶融金属が重力から開放されると溶融金属は高温のアーク近傍から、低温のビード後方へと表面張力により移動します。
上で説明してきた現象の動画を下記で再生できます。青枠の時間帯が、上で吊り下げている1Gの状態、赤枠の時間帯が自由落下状態の0G、緑枠が制動(ブレーキ)をかけて1Gより大きな重力がかかっている状態となります。
Effect of gravity on flame lamp and liquid meatl in water. | |||
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(1)up | (2)down | (3)normal | (4)overhead |
(5)up | (6)down | (7)down | (8)down |
次ページ 2016.04.01作成 2016.09.20改訂