8.高速度ビデオを用いたアーク現象の観察  8.6 表面温度測定

8.6 表面温度測定

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 高速度ビデオを用いて溶接中の温度計測をしたいとの要望は古くからありました。高速度ビデオの光波長感度が近赤外領域まで延びてきた事、アーク光の影響を除去する手法がかなり実現されてきた事などから、現実的になっています。右図は950nm帯域のみを透過する干渉フィルタを用いて撮影した画像の輝度から温度を計算し、擬似カラー表示した例です。電極上部で電極中心線上の温度が高く表示されているのは、下方に存在するアーク光が電極で反射されて輝度が高くなった影響です。また、電極先端部アーク発生部より少し上の領域では、酸化タングステンの蒸発と、蒸発した酸化タングステンが高温気中で解離・電離し、一部が電極表面に衝突し再結晶化していることで明るくなり、温度が高く表示されています。輝度と温度とは指数関数で対応しています。このため、輝度から温度への換算を8ビットで行うのは計算誤差が非常に大きくなります。温度計算には、少なくとも12ビットのデータが望ましいと感じています。
 溶融池の表面部にはアークが存在し、アークからの発光強度に比較して溶融池からの発光強度は相対的に低く、温度測定には不適となります。そのため、アークの影響を受けにくい裏面部の観察がもっぱら行われています。裏面からの温度計測を行う際に気をつけるべきことは、溶融部近傍のシールドを確実に行うことです。シールド不良の場合には、高温金属と酸素との反応により発光強度はかなり高くなります。
 輝度と温度との対応を考える上で、溶接線中心軸上の輝度分布を見るのが一番確実な方法です。温度ヒステリシスにほぼ対応するグラフになります。ピークが最高到達温度に相当しますが、温度の検定をしたい場合に注目すべきところは、冷却凝固過程のところ、輝度の減少が緩やかになり、一定時間経過した後、急速に減少している変曲点です。この点の輝度を参照して温度換算の参考にするのがリーズナブルと考えています。溶融池前面領域は固体が液体になる部分なので変曲点は存在しません。側面部も両側の固体部分からの冷却が大きく、溶融している液体は後方へ流動するため変曲点は存在しません。後方部分は固化して温度が十分高い領域なので冷却効果は少なく、ゆっくり時間をかけて冷却固化しますので、変曲点が際立って見えます。溶接方向に垂直な線上の輝度分布を調べるのも、溶融池の輝度分布を理解するための良い指標となります。一般的に、溶融部は平坦で、固体部分の輝度変化に比較して溶融部輝度の変化は少なく、ほぼ一定値になります。表面に浮かぶスラグの輝度は高い場合が多く、表面の流れをトレースするのに利用できます。
 凝固する点の輝度を探すもう一つの方法は、全映像の輝度ヒストグラムを作成する方法です。凝固温度に属する点の個数はその上下の輝度領域の個数より若干多く、ヒストグラムの傾きから凝固点に相当する輝度を探すことが可能になります。この方式で算出した凝固温度近傍の輝度が存在する画素に赤い色を割り当てた結果を表示しています。ほぼ、妥当な輝度領域が選定されています。赤い色を含んで、それより輝度の高い領域が溶融部であり、溶融部のみを抜き出して、温度分布を擬似カラー表示したものが右端の映像です。上側が、溶接開始に近い時刻、下側か終了時点での溶融池を示しており、溶接が定常状態になると、溶融池が前後方向に伸びる結果となっています。
 右図はカラー高速度カメラで、溶融池裏面の現象を撮影(4kfps)した映像の1画面です。カラーカメラの画素フィルターは約780nm以上の光を阻止するため、凝固温度近傍の溶融金属からの発光は感知できません。溶融池界面の固体側特に溶接線後方の凝固部では、凝固と同時に表面の酸化反応が生じるため、カメラが感知できる程度の明るさとなります。溶融金属に侵食されて溶融を行う前方部では発光強度はあまり高くはありません(ぼんやりとしか視認できません)。液体表面は、表面張力により引っ張られるため平面となります。一方、固体表面は、見た目には平面であっても、実際には微細な凹凸に覆われた複雑な構造となっています。このため、発光に係る表面積は、液面に対して相対的に広いことも固体からの発光強度が高い一因となっています。
 表面側の温度計測は、アークからの発光がかなり強いために、特殊な仕掛けをしないと計測は困難です。電極先端部の電子を放出している領域の温度に関しては、Richardson Dushmanの公式を用いて算出することが考えられます。たとえば下図はアルゴンとヘリウムとで構成されるシールドガスの混合率を変えて、アーク発生状況を撮影した映像の例です。これらの映像から各シールド条件でのアーク発生領域(電子が放出されている円錐形の領域の表面積)が計算できます。この領域の温度が領域内では等しいと仮定すると、実際に流れている電流と電極の仕事関数とから、表面温度が算出できます。その計算結果を図示したのが右のグラフです。

 アルゴンリッチなシールド条件では、電子の放出は電極先端に限定され、その温度は溶融温度に近い高温となっています。電極先端部を円錐形に削っているのは、電流通路の面積を先端に近づく程小さくすることにより内部を流れる電流密度が増加し、ジュール加熱の効果により電極先端部の温度を上昇させることにあります。電子放出部は電子放出による熱損失で冷却はされますが、重く電離しやすいイオンが電子放出部に大量に飛来してきます。多くのイオンは電極表面近傍で電子と再結合し原子になります。それらの原子は、そのまま電極表面に衝突し跳ね返されます。この過程で、電極先端部は加熱されます。高温の気体粒子による電極への衝突が電極先端部に集中するのは、アルゴン原子(イオン)の平均自由行程が短いからです。平均自由行程(気体粒子が他の気体粒子に1度衝突してから次に衝突するまでの平均飛行距離)は次式で表現でき、気体粒子の直径に反比例します。

λ=3.11×10^-24T / PD^2
ここで、平均自由行程[λ(m)],圧力P[Pa],温度T[K],気体粒子の直径D[m]とします。

 アーク現象で問題になる数値は、各種気体粒子の高温における衝突断面積や電離のしやすさなど各種の物理量を用いて計算する必要があります。上式から各種気体粒子の大まかな傾向を理解しておくことは重要です。アルゴン原子とヘリウム原子の直径は、それぞれ、3.64、0.32Å(オングストローム)ですから、ヘリウムの平均自由行程はアルゴンのおよそ130倍ほど長くなります。このため、シールドガス中のヘリウム成分が多くなると、高温の気体粒子がより広範囲に存在するようになり、結果として電極に衝突して過熱する範囲が広がります。また、アルゴンとヘリウムの電離のしやすさも影響してきます。このため、アルゴンの構成比率が1/4以下になると電子を放出する領域面積が突然大きくなり、電極の温度も変化しています。
 電子はヘリウム原子と比べても極端に小さいので、飛行速度は速く平均自由行程も極端に長くなります。そのため、特にヘリウムシールドの場合にはプラズマの外に突き抜けてしまうことがあり、厳密にはプラズマが電気的に中性とは言いにくい場合もあります。アルゴンなどの電離しやすい粒子が存在すると、突き抜けた電子がアルゴンに衝突し一部のアルゴンは電離することもあり、結果的に低温プラズマの存在範囲は広がります。
 雰囲気圧力の低下も同様な効果があります。下図はアルゴンシールドでアークを水冷銅板上に発生させた例ですが、雰囲気圧力を変化させています。雰囲気圧力が低下するのに伴い、アークは少しずつ広がり、電子を放出する表面積も大きくなります。電極の明るく光っている領域も拡大し、ヘリウムアークと様相が似てきます。
 電極先端部の温度は、気体が低いほど低くなります。圧力は対数で表示していますが、圧力と温度に関係する物理現象は対数で表示するとすっきり表現できることが多く、ここでもその例に倣っています。私は長らく水中溶接・切断技術の開発と実用化に従事してきました。その過程で常に圧力の問題に直面していました。雰囲気圧力が変化すると、物理化学的な反応やアークの挙動が大きく様相を変化します。GTA溶接の場合には、電極先端部の消耗が激しくなることや、リムの発生も大きくなることが問題でした。
 右図に、参考のために雰囲気圧力とアーク電圧との関係を示します。アークの電流−電圧特性に類似した形状をしています。
 水中溶接・切断の実験は、ほとんどすべて圧力容器の中で実施しますので、実際の現象をその場で目で見ることは困難でした。小型のCCDカメラが実用化された時には、圧力容器内の観察が可能になると期待を膨らませたことを覚えています。照明は高圧ランプを用いればある程度の気圧までは破裂させずに使用が可能でしたが、多くの実験環境は水の中であることとアークに対抗する光源としては力不足であったことなどから、高圧雰囲気でのビデオ観察はほとんど使用できませんでした。これらのことから、照明なしでアーク現象を観察するにはどうしたら良いのかについての問題意識を持っていました。

次ページ   2014.10.10作成 2017.1.26改定