3.1 水中ガス切断技術の開発の歴史
1776年にラボアジェ(Lavoisier)が酸素中で線条の鉄片が燃焼することを見いだしました。この現象がガス切断法の原理です。それから60年の後、サン・クレア・デビル(Sainte Claire Deville)が酸素−水素吹管を発明し、酸素過剰の状態で鉄を熱すると、鉄が激しく燃焼することに気づきました。さらに、1887年にトマス・フレッチャー(Thomas Fletcher)が、灼熱した鉄に酸素ジェットを吹き付けると、火花を生じながら孔が開くことを発見しました。1890年には改良した酸素−水素吹管を用いて、6mmの鉄板を75mm/minの速度で切断しています。
ガス切断技術が成立するためには、(1)切断される鋼材中の炭素濃度が低いこと、(2)予熱炎が適正な熱量で形成されること、(3)酸素純度が十分高いこと、などの経済性も含めて様々な必要条件があります。酸素−鉄の燃焼反応がたまたま発見されたとしても、商業的に利用されるまでに技術が進化するためには、社会環境の発展が不可欠であり、原理の発見から実際の使用までには非常に長い時間が経過するのが一般的です。
20世紀に入り、フェリックス・ヨットランド(Felix Jottrand)は、低圧吹管及び高圧吹管を発明し、酸水素炎により鉄が切断できることを確認しました。ヨットランドは、1904年にルーリ(Lulli)と共同で、酸素のみを噴出するパイプを付置した切断吹管を開発し、鉄と酸素との燃焼反応を明確に意識したランス切断技術を確立しました。さらに、1905年には予熱と切断酸素孔とを一個にまとめた火口を開発しました。
水中ガス切断法については、1908年に大気中の酸素−アセチレンガス切断法を水中に適用したのが最初の試みと言われています。しかし、水中では予熱炎が不安定になり消炎しやすいこと、被切断材が周囲の水により冷却されるために予熱が困難である事、あるいは、アセチレンは水深7m以上の圧力になると爆発する危険性があることなど、技術的に未解決な課題が多くあり実用化には至りませんでした。
1926年の9月に汽船と衝突して、水深約40mの所に沈没した米海軍潜水艦S-51のサルベージ作業が、米海軍にとって最初の水中切断作業となりました。この水深では、酸素−アセチレントーチは使用不可能であり、水素を予熱ガスに使用するトーチが開発されました。開発を担当したエルズバーグは、切断火口の周囲に保護キャップ(外筒)を設置し、圧縮空気を供給して切断部をシールドして切断が確実に行えるようにしました。エルズバーグ型と呼ばれるこの外筒は、切断火口と被切断材の距離を一定に保つ効果もあり、作業性を向上させています。この酸水素炎トーチは米海軍により良く利用され、太平洋戦争初期に真珠湾で沈没した軍艦の引き上げ作業で活躍しました。
民間ダイバーは、1960年代の初頭まで、この酸素−水素ガス切断を主に使用していました。この切断法は低炭素系の鉄鋼等の酸化反応しやすい金属には安全かつ経済的な手法ですが、耐食金属、アルミニウム、真鍮、非磁性金属は切断できません。酸素−水素ガス切断は有効な水中切断技術ではありますが、水素ガスの発熱量が小さく予熱が困難なため潜水士に熟練が必要な事、また、軍事的に使用する場合、戦闘領域において水素ガスの貯蔵は好ましくない事や爆破などにより表面が荒れている部分の切断が困難であるなどという理由から、より簡便な水中切断技術の開発が要望されました。
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