3.3 解体作業の開発の歴史
水中切断を多用した大がかりなサルベージ作業としては、スエズ運河の清掃作業があります。1967年のイスラエルとの6日戦争の時に、エジプト政府によりスエズ運河の全域に渡って10隻の艦船が沈められました。その後約8年間、スエズ運河は通行不能でしが、米海軍とマーフィーパシフィックマリンサルベージ社の共同作業により、10隻の沈没船の除去作業が行われました。切断には酸素アーク切断と制御爆破切断が主に用いられ、約7カ月で解体撤去作業は完了しました。1970年代に入り、重力式切断技術を応用した自動切断法が開発され、水中土木作業に応用されました。作業能率向上を目的として、1m程度の長さの切断棒が開発され、大電流を用いれば、水深100-150m程度では浅い水深での切断より高速度で切断が可能であることが明らかにされました。
海底油田プラットフォームの解体撤去作業については、メキシコ湾岸の浅い水深の海域では千基以上の実績があります。北海のように比較的水深の深い海域での解体も着実に実績をつんでいます。北海で解体されたのは、火災あるいは衝突等の事故により操業を停止した構造物が大半であり、構造の主要な部分は制御爆破技術により切断され、その他の部分は酸素アーク切断、アブレーシブウォータジェット切断などが利用されています。海表面部分の解体にはガス切断が多く使用されます。潜水士が酸素アーク切断などで予め補助的な部材を切断した後、構造部材の切断部に制御爆薬を装着します。装着後、潜水士を現場から離脱させ、遠隔操作により爆破切断を行います。解体には部分的な解体と完全な解体があり、陸上に持ち帰ってスクラップにする場合と、その場で倒壊させる場合、及び深海域に運び投棄する場合があります。
年々海洋汚染に関する注意が高まっており、不用意に解体廃棄する場合には、世間から大きな抗議行動を受けることなどがあります。このため、解体撤去作業には、慎重な事前調査が要求されています。1995年6月にRD/Shell社が保有していた北海のBrent Spar生産施設を海洋投棄する予定が、国際環境NGOのグリンピースの実力行使とシェル石油不買運動などを含めた諸外国の市民からの抗議により、一時中止せざるを得なくなった事態がその典型的な例です。たまたま抗議デモを目撃する機会がありましたが、"SHELL TO HELL"と書かれたプラカードが記憶に残っています。これらの構造物の解体に当たっては、全地球規模での環境保全のための事前評価が重要であり、当事者だけでなく一般市民の同意を得て慎重に進める必要があります。日本のメガフロート共同研究組合による6年間の実用化研究では、最終年度に浮体モデルを小さく解体する作業が行われ、全長1000m以上の自動水中ガス切断が実施されました。水中ガス切断は断面が非常に平滑できれいであるため、あらかじめ隔壁に塗装をした後に必要なサイズに解体し、海釣り公園などに使用されました。清水市で海釣り公園として利用されていたメガフロート構造体が、福島第一原子力発電所の放射性物質を含んだ汚水の貯蔵施設として、急遽移設して利用されたことでも注目されました。
活動を停止した原子力発電所の解体も同様に大きな課題であり、環境保全と安全性と経済性をいかにして満足させるかという問題があります。日本では日本原子力研究所が実験用原子炉の解体計画を実施しており、プラズマ切断、アークソウ切断、アブレーシブウォータジェット切断など、多くの水中切断技術が用いられました。米国やドイツにおいては数件の実績があり、1979年に事故を起こしたスリーマイル島の2号炉の解体には水中プラズマ切断、グラインダー切断及びアブレーシブウォータジェット切断等が利用されました。プラズマ切断の場合ノズル部の消耗あるいは損傷等による部品の交換作業が作業効率のネックになりました。また、この場合は単なる解体撤去ではなく、事故時にどの様な現象が起こったのかを冶金学的に考察するための試験片採取の必要がありました。このため、試験片の採取には放電加工技術が用いられています。原子炉関連装置の解体の場合には放射能による被爆の恐れがあるために、切断工具をマニピュレータの先端に取り付けた遠隔操作が採用されています。また、放射能の拡散を極力低く押さえるために、切断時にガスがあまり出ない手法が好まれています。
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