3.2 水中酸素アーク切断開発の歴史
第二次世界大戦の初期に、米海軍は英国海軍省と共同して、アセチレンや水素を使わずに火災時などに安全に作業できる技術として、水中酸素アーク切断技術の開発を行っていました。具体的には、セラミック系の中空棒に熱プラスチック被覆加工した電極を作成して、切断実験を行いました。
電気アークにより生じる高熱を利用して金属を切断する特許は、1890年には成立していました。しかし、切断品質が悪く実用には至りませんでした。1900年代にはいり、中空のカーボングラファイト電極を用いて、電極と切断材との間でアークをとばし、同時に中空部から低圧酸素を吹き付ける切断法が、アメリカで開発されました。これが酸素アーク切断の始まりです。酸素アーク切断には、以下の二つの特徴があります。(1)可燃性のガスは使用せずに、酸素のみを使用します。また、(2)電力や酸素ガスの供給と調整は洋上の母船から行い、水中では特殊な操作が不必要で安全性が高いという特長です。さらに、(3)50mm以上の鋼板の切断が可能で、表面が平滑でなくても容易に切断ができます。これらの特徴から、1942年には米海軍で良く使用されるようになりました。
1943年には、ベルギーでダンヒル(F.C.Danhier)が、鋼製の中空電極に酸化鉄系の厚い被覆を施し、高速酸素噴流を用いる酸素アーク切断法の特許を得ました。戦後、この技術はオキシアーク"Oxyarc"という名で産業界に導入されました。1952年からは、クロムニッケル系の合金などの水中切断を目的として、鉄粉系のフラックスを用いた被覆棒が開発され使用されるようになりました。
ニューヨークのドックサイドで火災により転覆・沈没した巡洋艦ノルマンジーは、米海軍のサルベージ作業の格好の訓練施設となり、第2次世界大戦中の3年間に、この沈没船は米海軍のダイバー達の水中切断・溶接の訓練に活用されました。米海軍の潜水作業士は、ここで修得した技術を各戦線で応用しました。潜水士が活躍する映画でも良く取り上げられています。
戦時下での水中作業は、損傷を受けたとしても戦闘中には修理作業に取り掛かることはできません。いきおい、戦闘終了後に水中修理作業が実施される割合が高くなります。米国海軍においては、戦闘時以外でのルーチンワークが比較的少ない兵種である、砲兵が潜水士に振り分けられることが多く、それ以外の兵種の人員が潜水士訓練を受けることは余りありませんでした。潜水艦の艦長候補は潜水士資格が必要とされているようです。訓練学校での成績は、飽和潜水技術などの基礎知識である学科成績が重要視され、実技評価は実作業に必要な能力さえクリアすればそれで良しとされ、抜群な実技能力があっても総合評価にはあまり関係ないとされています。第二次世界大戦頃の米海軍が描かれる映画を見ると、有色人種系は食事(調理)係で実戦に関係する兵種にはつけていないようです。その内、ザ・ダイバーで描かれている黒人のカール・ブラシアは、調理係から、甲板兵、潜水士練習生、潜水士、マスターダイバー(海軍潜水士最上階級)へと上り詰めていきます。面白く、かつ人種差別や狭い世界での人間関係や専門技能者の悲哀を描いた、良い映画でした。
酸素アーク切断の原理自体は単純で、垂下特性の電源を用い、交流でも直流でも切断可能です。水中で使用する場合には、無負荷時の電圧が高いため人体への悪影響を如何に低下させるのかが問題でした。また、切断棒自体の長さも市販の手動溶接棒と同じ長さで作成するため、切断の進行と共に頻繁に交換する必要があります。切断棒の消耗を遅くするための一つの手段がセラミックの利用です。また安定にアークを持続させるためにフラックスを切断棒の周囲に塗布します。フラックスが濡れないようにかつアークを安定に発生させる方法が主要な開発テーマでした。水深が深くなると、最適切断条件が変化するため水深の影響を調べること、また同時に人体への水深の影響を把握することも大切な研究課題でした。
実際に水中酸素アーク切断を実施している最中には、切断で使用する酸素の他にアークによる電気分解で水素も発生します。酸素と水素とが混合した高温ガスが、潜水士の周囲や構造物の閉空間に滞留し爆発する危険性も存在します。安全にかつ確実に切断作業を行えるようなプロセス技術の開発が実用上大切な課題でした。
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