3.水中切断技術開発の歴史

3.5 放電加工とアーク切断開発の歴史

前ページ

 1919年には顔料として金属の微粉末を作るために、現代の放電加工の原型とも言うべき、水中で連続的に繰り返して放電を発生させる方法が開発されました。この方法では、ビーカーにいれた水の中、金属ワイヤを対向させ、コンデンサを用いて連続的に水中放電を繰り返して加工しています。第二次世界大戦中に、ソ連のラザレンコ夫妻が電気接点摩耗の研究を行う中で、火花の発生により接点が磨耗する現象を見出しました。1943年には、この磨耗を利用して金属の切削する新加工方法を考えています。この加工法が放電加工(Electro Discharge Machining)の始まりとみなされています。電源回路はコンデンサと抵抗だけで構成されておりラザレンコ回路と呼ばれます。
 1954 年には日本においても、池貝鉄工所と日本放電加工研究所(JAPAX)が国産の放電加工機を開発しています。この当時の放電加工機は現在のものとは異なり、電極の消耗が多く、「抜き加工」にしか利用できませんでした。現在の放電加工機のように「底付き加工」ができるようになったのは、1968年ごろトランジスタを利用した電源回路が実用化されてからのことです。電源にトランジスタ回路を利用することで電極消耗を少なくし、また高電圧重畳や極間距離の制御改善も行われたことにより、加工能率は大きく向上しました。その後、放電加工機は、形状電極を使用して「底付き加工」をする「形彫り放電加工機」と、ワイヤ電極を使用して「輪郭加工」をする「ワイヤ放電加工機」に、区別されることになります。しかし、放電加工の材料除去メカニズムは十分に解明されたとは言いにくい状態と筆者は考えています。
 1953年にはネイバルコンストラクター(Naval Constructors)社でアルミニウムのMIG切断装置が開発されました。これは、低炭素鋼のワイヤを直流マイナスで使用し、アルゴンガスで溶融金属を吹き飛ばしながら切断する方法です。この切断法では、切断溝幅が広いことや切断部底面で溶融金属が再融着するなどの欠点があり、水中への適用には不向きとされていました。1974年にシールドガスの替わりに水ジェットを用いる「溶極式ウォータジェット法」が開発されました。この切断法は、大電流アークを水ジェットで緊縮すると同時に、溶融した金属を切断部下方へ吹き飛ばして切断を行う方法であり、切断溝幅が狭く、切断能力は水深には余り影響されず、高水深でも良好な切断が可能という特徴があります。ヨーロッパの原子力発電施設の解体・補修作業に実際に使用された例もあります。

次ページ(3.6 その他切断)   2013.11.25作成 2016.8.17改定