14.空気中放電後の電極状態
シールドガスを流し忘れてアークを発生させることは(私の場合には)よくあることです。過渡的な放電過程も面白いので、高速度カメラでも沢山撮影しました。
アーク発生中は先端領域が選択的に溶融して電極は瞬く間に短くなっていきます。このような場合に電極表面がどのように変化しているのかについて興味を持つ人はほとんどいないので、過渡的に変化していく電極のSEM映像を見たことのある人はほとんどいないと思います。「疑問に思ったことはとりあえず調べてみる」が私の主義なので、高速度映像を撮影する合間に、SEMで観察した結果について紹介します。
右上の映像は倍率20倍のSEM映像で、右端の電極先端領域は相当消耗しています。右端(1)が陰極領域です。左側の領域(5)に盛り上がった部分が存在します。個々でトリアが溶融して析出し、周囲のタングステンがトリアからの酸素と周囲の空気により酸化され蒸発。昇華しすぐに解離して多くの解離したタングステンが電極表面に固着して結晶化しています。
右は先端領域(1−2)を100倍で撮影した映像です。右端の溶融領域(陰極領域)にはタングステンが溶融した痕跡の他に、表面に多くの酸化物が付着しています。活性フラックスを塗布した場合も同様なのですが、電極表面には酸化物が多く付着しています。酸化物がどの時点で生成したのかについては、詳細に検討しているわけではありませんが、アーク消去後に電極表面に衝突付着した金属蒸気が酸化したと考えるのが妥当だと思っています。中央付近と左端にある楕円形の領域は母材からのスパッタが衝突した領域です。
右に中央部に存在するスパッタ衝突面を500倍で撮影した結果を示します。母材はSUS304なので衝突したスパッタの主成分は鉄・クロム・ニッケルです。これらは電極表面へ飛行中にも一部は酸化されており、多くは一旦電極表面に吸着されます。吸着された金属粒子は表面で酸化すると共に蒸発します。SEM映像では、酸化物がある程度表面に付着しているので、アークを消去する直前に電極に衝突したものと考えています。
右の映像は左端に存在している衝突跡を500倍で撮影した結果で、この表面には酸化物が見られないので、アーク消去より一定時間前に衝突した痕跡と考えています。映像左上の2箇所に穴が存在しており、この孔は酸化蒸発して気化した成分が一気に噴出した跡と考えています。この500倍の映像では全体的に白っぽく撮影されています。右下のように右半分の領域を2000倍に拡大すると、表面は酸化膜に覆われており、多数の小さな孔と突起が出来ていることがわかります。
右上の映像の右半分にも小さな孔が多数存在していることは観察できます。右の映像は右上の映像の右端にある楕円形の黒っぽい領域と左半分のスパッタ衝突痕右端との丁度中間地点に存在する領域を拡大して撮影しています。これらの映像では粒界は確認できないので、アーク発生中にはこの領域の電極表面は溶融していないと考えています。陰極領域自体は電極先端部に限定されており、アーク発生過渡期にも側面で放電が生じることは一切観察されていません。
右は500倍の映像の左端に存在する溝状の陥没穴領域を2000倍で撮影した結果です。微細に観察すると表面は非常に複雑な構造となっており、アーク発生中にこの領域で様々な酸化還元反応が生じ、柱状晶が陥没穴側面に沿って成長している様子が分かります。中央部の白い領域にも多数の柱状晶が右下から左上に向けて成長しています。白い領域底部の右に黒っぽい比較的広い平面が存在しています。この表面は非常に平滑で下側に黒色の亀裂が生じています。このように平滑な平面が存在していることは非常に不思議に感じます。
同じ平滑な平面でも、その反対の左側にある平面は鳥の羽もしくは葉っぱの葉脈のような形状になっており、凝固線に沿って模様が浮かび上がっていると考えることで納得できます。しかし、ほとんど平面に筋状の乱れの無い表面については理由が思い浮かびません。
右の映像はこれらの陥没領域のすぐ左を100倍で撮影した結果です。電極表面をバフ研磨して用いた電極ですが、表面には多くの突起物が存在します。
右の映像は右上映像の中心部を2000倍の倍率で撮影した結果です。トリアが析出して蒸発した痕跡は存在せず、方向がランダムな柱状晶が電極表面に付着して成長しているほか、微細な酸化物も表面に付着しています。非常に微小なスパッタが表面に衝突して付着し、その後酸化反応によりこのような形状になったようです。
右の映像はより低温側の電極表面を100倍の倍率で撮影した結果です。
右半分は電極先端側にあり、左側より若干電極温度は高くなっている領域で、電極表面に衝突した微細なスパッタは若干融着して電極表面に広がっているところと、微細な石ころ状の形状で表面に付着しているものもあります。左半分の領域は温度が低い分溶着した痕跡は少なく、多くは突起した状態で表面に固着しているように見えます。
右下の映像は右映像の中心部を2000倍で撮影した結果で、粒界がクレバス状に侵食されています。左端中央領域では20μ角の塊が電極表面より5μ程度突き出しているように見えます。表面の文様はトリア入りタングステン電極表面と同じ特徴を有しています。このため、電極表面に付着したスパッタとは考えにくく、何故このような形状になっているのか思案しています。
右下の映像は、最初の映像の領域の内(4)から(6)の範囲を100倍で撮影した結果です。領域(5)はトリアとタングステンが酸化還元反応を行える温度になっていて、タングステンがトリアから酸素を受取って酸化タングステンになると同時に蒸発・昇華して電極表面から離脱し、表面直近で解離しタングステンが電極表面で結晶化している領域と考えています。電極の等温度線の狭い境界領域に沿ってこのように極端な反応が生じているのは驚きです。物理化学反応が生じている領域の両端表面は、この倍率の映像では比較的平坦な形状を保っているように見えます。しかし、倍率を高くして観察すると、かなりはっきりとした化学反応が生じていることが分かります。右下に右図右半分の領域を2000倍で撮影した結果を示します。
写真左側に縦に走っている基材研磨痕が存在し、その痕跡の深さと同じような凹凸が前面に広がっています。また、微細なクラックが多く確認でき、アーク発生中に表面が半溶融状態にあるり、アーク消去後の冷却過程でその表面が収縮して微細なクラックが発生したことが考えられます。
右下図は右上図の左半分の領域を、同じく2000倍で撮影した結果です。こちら側の表面には直径1μ程度の微細な突起が全面に発生しています。
比較のために同じ規格の電極を用いて、アルゴンシールド(10L/min)で200Aのアークを30分間流した電極表面を、右下に表示します。こちらの映像の倍率は1000倍で、右図の半分の拡大率です。この両者の比較から電極内部からの析出密度が非常に高くなっていることが分かります。右下のアルゴンシールド時の電極表面に析出している物質が主にトリアであることはEDX撮影で確認しています。また、細長く析出している状態の他に小さな点状の芽の様な白い点も多数撮影されており、条件によっては右上図に示した空気中の電極表面のような密度になることも可能と考えられます。右上に示した電極表面は本の数秒間アークを発生させただけの電極表面ですが、空気雰囲気中では高温電極表面での酸化反応が激しく生じていることが分かります。RIM形成領域より右の高温側では研磨痕と同程度の突起厚みであるのに対して、左側の低温領域では研磨痕跡が全然推定できないほど厚い突起が多数生じています。両者の温度差はそんなに大きくは無いと考えており、微妙な温度差で表面状態が大きく異なっているのは、右側の表面ではトリアが溶融して電極表面全体を多い、周囲の空気による酸化反応が抑制されているのに対して、左側の低温側ではトリアは溶融していないために電極表面での酸化反応が活発に生じているのだろうと考えています。
さて、右にRIM発生領域を500倍にして撮影した結果を示します。図の中央部分がRIM生成領域です。左側では滑らかな表面が認められ、この領域で酸化トリウムが蒸発・昇華していると考えています。今考えると、左側境界が撮影できていないことが残念です。4枚上の100倍で撮影した写真と見比べて類推するしかないのですが、この左端領域では電極内部から析出してきたトリアが接触しているタングステンと酸化還元反応により還元されたトリウムが溶融し、酸化されたタングステンは蒸発・昇華していると考えられます。実際この左端領域の表面は非常に滑らかであり、アーク消去後の冷却過程で溶融面が収縮して発生したと考えられるクラックの存在が認められます。
右図にRIM生成領域を2000倍で撮影した結果を示します。不活性ガス中で生起するデンドライト結晶に比べて、あまり綺麗でないのは残念ですが、すぐ左の領域で発生した酸化タングステン蒸気が発生してすぐ表面近傍で解離し、電極表面に衝突したタングステン原子が結晶化して生起していることが分かります。化学反応、特に反応速度論に関してはほとんど無知で、この領域で生起している反応の詳細についてはほとんど理解していません。トリアがタングステンに酸素を提供する反応は多分発熱反応で、固体内部のトリアとタングステンが接している面で生起しています。この反応が生じている面の温度は酸化タングステンの蒸発温度より高いために、酸化された酸化タングステンは即時に蒸発・気化し気体となり急速に膨張します。気化した時点で気化熱により反応領域は冷却されます。また急速な膨張により気体温度も低下します。その冷却がタングステンの酸化反応を抑制しているはずですが、量的な関係は理解していません。また反応面が具体的にどの位置にあるのかについても把握できていません。これらのSEM写真を撮影した時点では、この領域で生じている酸化還元反応に関して、無知であったことからほとんど興味の対象ではなかったために、観測すべき領域と必要な撮影倍率の映像がかなり不足していることを理解して、少し悔やんでいます。
先頭ページ 2017.6.8作成 2018.4.25改訂