4.水中ガス切断

4.6 ガス切断現象

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 前節にガス切断現象を高速度カメラで撮影した動画を付け加えました。「ガス切断は研究し尽くされていて、新たな知見はほとんど残っていない」と感じている人が多いと思います。実際のガス切断は急速な燃焼反応であり、非常に複雑な反応が切断部で生じています。自分自身で理解しきれていない領域がたくさんあり、2000年頃に高速度ビデオを入手した機会に、撮影した動画がほとんどです。1990年代はじめにNACのHSV400で撮影した動画も掲載しています。その時点で想像していたとおりの現象が撮影でき、やはり燃焼反応は複雑で一筋縄では理解できないという感を再認識しました。 酸素と鉄の燃焼反応
 右の図に鉄の酸化反応の熱収支を示しています。1グラム当りの鉄の燃焼(酸化反応)による発生熱は、FeO=4.77kJ/g、Fe3O4=6.56kJ/g、Fe2O3=7.06kJ/gです。一方、1gの鉄が1800Kにまで温度が上昇して溶融するのに必要なエネルギは0.97kJ/gと、酸化反応により発生する熱よりはるかに小さい値です。切断する材料の厚さと切断速度により異なりますが、切断スラグ中の鉄や酸化鉄の成分比は、Fe=10-20%、FeO=45-55%、Fe2O3=20-45%と言われています。切断する板厚が厚くなると、Fe2O3の比率が高くなります。
 ガス切断速度と切断面の品質には、切断酸素の純度が大きく影響し、純度が99.5%以上と不純物が少ない酸素(市販のボンベ酸素はすべてこの基準以上なので問題にはなりませんが、この純度の数値が正しいかどうかについては若干疑問を持っています。)を用いる必要があります。
 切断火口は、手動か自動かにより、また燃料ガスの種類と圧力により、構造が異なります。切断酸素を噴出させる孔は、まっすぐな構造のストレートノズルと、出口側が若干広がったダイバージェントノズルの2種類があります。
 ストレートノズルは圧力が高くなると衝撃波が発生して切断酸素の流れが乱れるため、比較的低い圧力で用いられます。一方、ダイバージェントノズルでは、超音速気流が得られ高速度での切断が可能となります。切断可能な板厚と速度は、切断酸素の流量と予熱炎の強さに影響されます。このため、板厚が厚くなれば、切断酸素噴出孔径を大きくし、同時に予熱炎の強度も上げる必要があります。また、切断速度は遅くなります。 ガス切断条件
 水中では周囲の水が、予熱炎で暖めた母材の表面を冷やしたり、予熱炎の燃焼を邪魔したりしがちです。如何にして切断部の環境を陸上と同様にして、水中でも陸上と同様な精密な切断が行えるようにするかについて考慮されてきました。最も単純な解決策は、切断ノズル先端部に保護筒を付け加えることです。保護筒を付け加えると、切断したい部分への周囲の水の侵入を防止でき、予熱炎の安定な燃焼と、切断部の酸化反応の安定化が可能です。
 切断現象の理解には、切断が開始される状況と、切断が実行中の状況とを明確に区分けして考える必要があります。
 物質が発火するには、引火源の温度と総熱量(エネルギ密度)、発火物の熱容量と熱伝達速度など多くの要因が絡まります。発火点の明確な定義はあやふやだとは感じていますが、鉄粉の発火点は588-593K、細い鉄線は1170K程度、鋼材の切断関連の多くの文献には1170-1270K程度の値が記載されています。実際問題、細い鉄線や鉄粉は表面状態が定かではなく、また発火に至るときの周辺温度や湿度や酸素純度及び、発火材料の熱容量など、発火時点での不明確な情報が非常に多く、正確に測定するのは難しいと思います。筆者の経験では、直感的に鋼材表面が赤熱した状態なら切断開始可能で、色が若干薄い場合には切断不可と判断していました。また、端面から切断する場合には、端面は比較的短時間で切断可能になるのに対して、板の中央部を切断開始点にする場合にはなかなか温まらないと感じていました。 ガス切断開始
 予熱炎は円柱対称な熱源なので、中央でも端部でも熱収支的には同じと言う感覚は抜き消しがたいものがあります。右の図の板材中央のトーチを半分に決断した状態が左の端部での状況なので、理論的には熱収支に影響はありません。端部には熱がこもり温度上昇しやすいという認識はあります。しかし、円柱対称な部材であれば、出て行く熱と入ってくる熱が等しくバランスするはずなので、開放部の予熱炎からの熱流入と端部表面の酸化物挙動を考えないと、端部温度が上昇する原因が説明できません。今でも、何故端部はすぐ温度上昇し、中央部の温度上昇が非常に遅いのか不思議に感じています。  切断持続
 一旦切断が開始されると、燃焼熱が自分自身をその温度まで上げるのに必要な熱量より大幅に上回る状態となります。このことから、燃焼して発生した酸化鉄の溶融スラグの温度が相当高くなっていることが分かります。鉄の酸化反応が安定して持続するためには、燃焼開始域において溶融したスラグから鉄基材に与えられる熱量が、鉄基材の燃焼開始域の温度を発火点に上昇させるのに必要なエネルギを上回ることが必要です。この切断開始点には、断熱膨張により冷却された切断酸素噴流が吹き付けられることによる冷却効果と放射冷却及び鉄基材内部の熱伝導による冷却があります。これらの冷却を差し引いた状態で、鉄基材温度が発火点を上回れば、安定な切断が持続できます。実際、グラインダ処理などで表面黒皮を除去してすぐ切断を開始すれば切断可能な場合があります。
 実際には、軟鋼材の表面は化学的に安定な黒皮に覆われており、最表面層は酸化反応の最終形態であるFe2O3になっています。このため、安定に切断を持続させるためには、黒皮内部の鉄基材を発火温度にまで上昇させるだけでは、熱量不足となります。このことが、安定な切断に予熱炎が必要な一つの理由です。予熱炎の効果の一つとして、切断材表面の水分、錆、スケ−ル等の燃焼を阻害する不純物を取り除く、切断材材表面活性効果が良く挙げられています。しかし、今までの筆者の実験結果では、予熱炎で生成された水分が切断材表面で冷却されて水に戻る現象はよく観察しましたが、この表面活性効果が発現すると感じたことはありません。
 厚板の水中切断では、予熱炎強度が弱いと切断は安定しにくく、燃焼炎が強い場合に安定に切断できることは、実感しました。このことは、切断開始点(材料表面)の温度が高いと効率的な燃焼(熱切断)が生じやすいことを意味します。
 右の写真に、軟鋼ワイヤの安定な燃焼反応が持続する一例を、示します。燃焼させているワイヤは、サブマージアーク溶接用の3.2mmΦのワイヤです。切断酸素噴流に対してワイヤを所定の角度範囲と速度範囲内で供給することにより、安定な燃焼反応が持続します。燃焼生成熱は、ワイヤ自身を溶融させる熱量よりはるかに大きいため、ワイヤ先端から放出される酸化物噴流はステンレス鋼を切断させるのに十分な熱量を有しています。
 右の写真は、10mmtのSUS304に対して、安定持続的な切断を実施している状況の一例です。ワイヤ先端から噴出する酸化物がSUS304を溶融し、さらに溶融した部分に吹き付けられる切断酸素噴流が溶融したSUS304の溶融燃焼反応を促進し、溶融したスラグなどを下方に吹き飛ばして、安定な切断を進行させています。この切断現象の詳細については、メタルジェット切断の項目で紹介します。
 右図は切断材表面に近い領域の切断機構の概念図です。表面が十分に熱せられた領域にガス噴流が作用し、内部で複雑で激しい酸化還元反応が生起しているスラグ層が形成されます。切断は左から右へと進行しています。右側にある瞬間から次の瞬間へと切断が進行する際の、ガス噴流を示します。切断断線上のA点では、台車走行速度と同じ速度で切断が進行します。側面のC点では、見かけ上の切断の進行は存在しません。その中間領域であるB点では、切断の進行する領域は存在するもののA点より小さくなります。酸素と鉄の酸化燃焼反応により切断が進行するガス切断では、C点では切断溝幅が増加する方向のみに酸化反応が寄与します。ABC各点における見かけ上の切断進行速度の違いから、A点ではスラグ層の厚さは最も薄く、B点で最も厚いと考えられます。酸化反応の進行は、スラグ層に進入した酸素が、スラグ層内部を拡散する過程で、鉄及び以前に生起した酸化鉄と衝突することにより起こります。こう考えると、A点ではFeOが生じる割合が最も高く、BC領域よりスラグ温度は低いと考えられます。温度自体は、前節 4.5 切断品質で示した高速度撮影写真からの結果にも見られるように、溝内部で一様ではなく、波目状になっており上から下へと搬送されます。また、側面方向への移動はほとんど認められません。このことも、切断進行面の温度が側面領域の温度より低いと考える所以です。
 厚板の切断では、切断条件によっては底部近傍に溶融金属層が出現します。底部に付着したドロスを除去する際に、強固に付着しているドロスでは明らかな金属層が見られることがあります。酸化反応が進行して、FE3O4やFe2O3が増加するとスラグ層全体の温度は上昇し、金属の溶融温度より高くなることもあります。溶融金属層が出現し、その層の厚みがある程度増加したときに、内部でベナール対流のような散逸的な対流が出現することが考えられます。この場合、ほとんど酸化していない高温の溶融鉄がスラグ表面に出現し、その表面を流れる切断酸素と急激に反応して燃焼することなります。このような現象が、底部にノッチが発生する原因ではないかと考えています。

次頁(4.7 水中ガス切断の基礎)   2013.11.25作成 2017.04.09改定

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水中切断項目
水中切断動画一覧
リバティー船

 造船には素人のヘンリー・J・カイザーが主導した、急速建造の可能な標準型貨物船。建造期間短縮のため、当時としては画期的な「ブロック工法」と「溶接結合」が採用され、1941年から1945年までの短期間のうちに2,712隻が急速建造された。
 溶接家さんには冷温脆性破壊でおなじみだが、酸素含有量の多いリムド鋼に問題があることを突き止め、酸素量の少ないキルド鋼を開発して、溶接による脆性破壊防止策をまとめた事実には感動した記憶がある。
 ガス切断が最初に造船に用いられた代表例でもあり、黒人や女性が大量に採用されたことも特徴、有名なジャズ奏者の多くも戦時中溶接工として働いた。
 最近はまっている英国ミステリーの一つ「刑事フォイル」で、造船所で働いている女性が「私は溶接工」と言っていたが、画面の中ではガス切断に従事していた。女性の給与が男性の半分だったというのも、新たな知見

ベルナール対流
 1900年にフランスのアンリ・ベナールが熱対流の体系的な研究を始めました。パラフィン、鯨油などの粘性の高い流体層の下面を一様に加熱すると、加熱された流体は浮力により上昇し、流体内部に半定常的な細胞状の模様(対流セル)が形成されます。細胞の中心付近では上昇流、境界付近では下降流になるベナール・セルが生じます。1916年にレーリー卿がその理論的な解析を行い、現在では細胞状のパターンが生ずる熱対流をレーリー・ベナール型対流と呼びます。
マランゴニ対流
 イタリアの物理学者マランゴニにちなんで命名された、流体表面の表面張力が不均質になって流れが駆動される対流です。流れの主な原因は、温度差と濃度差です。マランゴニ対流が発生すると、流れにより温度や濃度が不均質になり準定常的な対流が持続することがあります。現象としてはベルナール対流と同じで、駆動力が浮力か表面張力かの違いと理解しています。